2022/11/18
はじめまして梶原です/私がFPを目指した理由
はじめまして。
かじはらFP事務所 代表CFP®の梶原真由美です。
BLOGでは、ホームページではお伝えしていない情報、時には徒然、かじはらが日々考えている事などをお伝えし、大切な顧問顧客のお客さまとFP相談を検討している皆さまに、何かしら資する事があればと思っております。
はじめの投稿は、私の原点でもある「FPを志した理由」について触れておきたいと思います。
私は2022年で46歳になるのですが、今から20年前の26歳の時、友人10名程と行った日帰りのスノーボード滑走中に後方から追突され「両足骨折」という大怪我を負いました。
追突の瞬間は殆ど覚えていません。
「あぶない!」と後ろから声がしたかと思ったら、次の瞬間は仰向けで倒れており空を見上げていました。
ただ、下半身(腰から下)はビリビリに痺れており激痛が走っていました。経験したことのない痛みに「ただ事ではない」という事だけはわかりました。
当然周囲は一瞬にして人だかり、レスキュー車がきて、大きなソリに横たわり、まるで〇体のようにビニールシートに包まれて下山しました。
下山後、応急処置をした後に救急車で近くの病院に運ばれました。
救急車の中では山道での振動で足が痛んだ記憶と、救急隊員さんがスキー・スノーボードでの怪我がいかに多いかを話してくださいました。
病院に着くと、レントゲンを撮影しその時はじめて両足が骨折していることと、手術が必要で長期の入院になることを告知されました。
骨折や手術の経験がなかった私はその時はじめてボロボロと涙がこぼれたことを覚えています。今思うと事の重大性を認識したのでしょうね。
あまり覚えていないのですが「お母さん・・・ごめん」と母に電話したそうです。勘の良い母はその電話の様子で何か大変な事があったな、と思ったそうです。
また、応急処置のため親友に借りていたスノーボードのウェアを裁断する必要があったのですが、裁断前に親友に電話して「・・・という訳で切っていい?」と聞いたのは
今では笑い話ですが、梶原さんの真面目な性格が窺えるエピソードです(笑)
怪我をしたスキー場は栃木県の那須塩原に対し、私の実家は千葉で長期入院になることから意を決して千葉まで戻ることにしました。
那須塩原病院の方々には、移動中に足が痛くないように毛布や枕を大量に貸して下さったり、大変親切にしていただきました。
友人の車の後方シートを全て倒しベッド上にして、そのまま成田赤十字病院へ直行。
「行ってきます」と実家で出てから、帰ったのが3カ月後となりました。
手術は全て合わせると3回、リハビリ通院を経て症状固定までに約1年半の歳月がかかりました。
入院初期はまだうら若き乙女だった?のにも関わらず下のお世話を同世代の看護師さんにされるなど、なかなかハードな経験をしました。
相手がある事故なので相手方との示談交渉は実に3年に渡りました。
当時の資料はこちらです、長い長い苦しい戦いになりました。
結果として1,000万の損害賠償請求が通り、29歳にして大金を得ることになります。
恥ずかしながらそれまで貯蓄という貯蓄もしていなかったので、この大金を持て余すことになります。
当時の無知な自分でも、大切なお金であることくらいは分かりましたので・・・。
各銀行の預金金利など調べている間に、資産運用・投資信託といったワードが目に飛び込んできました。
「お金に働いてもらう」「お金がお金を生む」と・・・心躍りましたね。(・・・のちに大失敗するのですが、その話はまた別の機会に)
同時に、ファイナンシャルプランナーという資格を知りました、2005年頃でしょうか。
社会保障や資産運用、税金のこと・・・「嗚呼、もし私にこのような知識があったなら、あの地獄の不安と苦しみは多少緩和されていたかもしれない」そう思いました。無知の罪の恐ろしさを身をもって知りました。
今からでも遅くない、転んでもタダで起き上がりたくない!
そう思いFP資格を目指すことになります。
以上が私の原体験、FP資格を目指すことになった理由です。
また別の機会にそこからの現在までの話を書いてみたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これまでの経歴/事故その後に続きます。
この記事を書いたのは「梶原真由美」